■ディラック方程式と四元数(その1)

【1】複素数と行列

 ある複素数に虚数単位iをかけると

  zi=(x+yi)i=−y+xi

となり,この操作は90°回転に対応することがわかります.そこで,回転行列にθ=π/2を代入すると

  J=[0,−1]

    [1, 0]

となります.

 複素数平面でiが果たす役割と行列Jが果たす役割は等しいのですが,実際にこの行列を2乗すると

  J^2=[1,0]=−E

     [0,1]

となって,虚数のもっている性質を備えていることがわかります.

 このことを踏まえると,複素数に対応した行列を導入することができます.

  Z=xE+yJ=[x,−y]

          [y, x]

ここで,

  E=[1,0]   J=[0,−1]

    [0,1]     [1, 0]

  Z’=xE−yJ=[ x,y]

           [−y,x]

  Z・Z’=[x^2+y^2,0]=(x^2+y^2)E

       [0,x^2+y^2]

ですから,(x^2+y^2)Eという行列が(虚数単位iを陽に用いることなしに)行列Zと行列Z’の積に分解できたことになります.

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【2】パウリ行列

 前節で述べたことにより,行列を使うと因数分解ができるようになる可能性が開けてきます.円に相当するx^2+y^2ができたわけですから,球に相当するx^2+y^2+z^2も分解してみたい・・・.そして実際に,

  x^2+y^2+z^2

の因数分解を可能にするのが「パウリ行列」です.

 パウリ行列は

  σx=[0,1]   σy=[0,−i]   σz=[1, 0]

     [1,0]      [i, 0]      [0,−1]

の3組の2×2行列で与えられるのですが,いずれも2乗すると単位行列になります.

  σx^2=E,σy^2=E,σz^2=E

 また,行列のかけ算は非可換なのですが,パウリ行列では,

  σxσy=iσz,σyσx=−iσz

のように符号が逆となり,

  σxσy+σyσx=O(ゼロ行列)

  σxσy−σyσx=2iσz

のような関係が成立します.

 ここで,行列

  xσx+yσy+zσz=[   z,x−yi]

             [x+yi,  −z]

を考え,この行列を2乗してみます.すると,

  (xσx+yσy+zσz)^2=[x^2+y^2+z^2,0]

                [0,x^2+y^2+z^2]

  =(x^2+y^2+z^2)E

 結局,(x^2+y^2+z^2)Eという行列は,(xσx+yσy+zσz)^2に分解できたことになります.4元数を使わないとできなかった因数分解が,行列を利用すると分解できるトリックは,行列の成分として虚数単位を含んでいるうえに,行列自体にも虚数の働きがあり,普通の数にはない機能を2重に使っているからと考えられます.

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【3】ディラック行列

 パウリの行列において

  x^2+y^2+z^2=r^2

は3次元空間での球に相当するわけですが,歴史的にはパウリが基本粒子のスピンを数学的に表現するために考案したものです.この考えがヒントになって,ディラックが4次元時空における時間の項を加えた

  x^2+y^2+z^2+t^2

を因数分解するために「ディラック行列」を使いました.

  αx=[0,0,0,1]  αy=[0, 0,0,−i]

     [0,0,1,0]     [0, 0,i, 0]

     [0,1,0,0]     [0,−i,0, 0]

     [1,0,0,0]     [i, 0,0, 0]

  αz=[0, 0,1, 0]  β=[1,0, 0, 0]

     [0, 0,0,−1]    [0,1, 0, 0]

     [1, 0,0, 0]    [0,0,−1, 0]

     [0,−1,0, 0]    [0,0, 0,−1]

 これらの4組の2×2行列をディラック行列と呼ぶのですが,前項と同様に,

  xαx+yαy+zαz+tβ

 =[ t,  0,  z, x−yi]

  [ 0,  t, x+yi,−z ]

  [ z, x−yi,−t, 0  ]

  [x+yi,−z ,0,  −t ]

  (xαx+yαy+zαz+tβ)^2

 =[x^2+y^2+z^2+t^2,0,0,0]

  [0,x^2+y^2+z^2+t^2,0,0]

  [0,0,x^2+y^2+z^2+t^2,0]

  [0,0,0,x^2+y^2+z^2+t^2]

 =(x^2+y^2+z^2+t^2)E

という関係が確かめられます.これで,(x^2+y^2+z^2+t^2)Eという行列は,(xαx+yαy+zαz+tβ)^2に分解できることがわかりました.

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 ちなみに,ディラック行列をパウリ行列で表現すると,

  αx=[0,σx]  αy=[0,σy]  αz=[0,σz]

     [σx,0]     [σy,0]     [σz,0]

  β=[E, 0]

    [0,−E]

  xαx+yαy+zαz+tβ=[tE, xσx+yσy+zσz]

                [xσx+yσy+zσz,−tE]

と表すことができます.

 このことから

  αx^2=E,αy^2=E,αz^2=E,β^2=E

  αxαy+αyαx=O(ゼロ行列)

  αxαy−αyαx=2i[σz,0]

            [0,σz]

  αxβ+βαx=O(ゼロ行列)

  αxβ−βαx=2[0,−σx]

          [σx, 0]

と計算されます.ディラック行列がパウリ行列に一工夫加えた様子を窺い知ることができるでしょう.

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