■ドローネーの月運動論(20年かけた月の研究)

 太陽の周りを地球が回り,その周りを月が回っている.これで正しいか?

  heliocentricにみれば,太陽の周りを地球が回る→Yes

  geocentricにみれば,地球の周りを月が回る→Yes

しかし,

  heliocentricにみれば,地球の周りを月が回る→No

である.

 月は地球が太陽の周りを1周する1年の間に,約13回も新月から満月までのサイクルを繰り返す.その間,月は地球の軌道を横切るだけであり,決して地球の周りを回っているわけではない.月も地球同様,太陽の周りを回っているのである.

 また,地球の場合,月が地球を安定させるような影響を及ぼしている.地球の安定は月がもたらしてくれるのである.

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【1】3体問題

 月の動きは太陽よりもずっと複雑である.月は地球の衛星であるが,その軌道は太陽の影響を受けてはなはだ複雑なものになるからである.実はニュートンですら月の運動の不規則性を説明できなかった.きまぐれな月,謎だらけの月の運動はつねにニュートンの頭痛の種であったのだ.

 ニュートンはどこで間違ったのであろうか? 万有引力は質量の積に比例し,距離の2乗に反比例する力である.太陽・地球間の引力が一番強いのは当然として,次に太陽が月に及ぼしている引力と地球が月に及ぼしている引力を比べると,前者が後者よりも2倍も大きいことがわかる(地球の質量をMとすると,Ms=3.3×10^5M,Mm=1.2×10^-2M,地球の半径をRとするとrs=2.4×10^4R,rm=6.0×10R).太陽が及ぼす力が大きすぎて簡単な摂動論では月の運動を説明できなかったのである.なお,このことから月の軌道は太陽に対して負の曲率はもてないことになり,常に凹となる.

 ニュートンは2つの天体の間の運動方程式(2階微分方程式)を積分することによって解き,安定な周期解となることを導き出した.この解がケプラーの法則である.次に,3つの天体間の運動方程式,すなわち3体問題(例えば,地球と太陽と月しかない宇宙で,これら3つの星の運行を決める)に関心が移ってくるのは当然のことであろう.ところが,天体の数が3つになると複雑でお手上げになることをご存じだろうか.

 ニュートンの後継者たちは物体が3つ以上ある系についても運動方程式を積分して解くことを試みたのだが,結局,積分不能で行き詰まってしまった.3体問題の運動方程式を書くのは容易であるが,それを解くのは非常に難しく,方程式を正確に解く公式をどうしても見つけられなかったのである.

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【2】3体問題への取り組み

 月の運動方程式は積分できないだけでなく,近似することさえむずかしいことがわかったのだが,コンピュータがなかった時代でも,月の運動を表すベキ級数近似解を求める取り組みがこつこつと続けられた.

 19世紀の末にドローネーは計算に10年,検算に10年かけてフーリエ級数の形の公式を求めた.その公式には280項もあったが,1960年代,コンピュータを使って全体で3カ所の誤りが発見された.実質的には33/16となるべき代数項の係数値をうっかり23/16と誤った1カ所だけで,他の2カ所はそれから派生した重要でない誤りだったという.

 ドローネー以後,月の位置の予報精度が上がったことは事実であり,ドローネーの方法は現在でも人工衛星の軌道計算に応用されている.

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【3】3体問題・その後

 2体問題は可積分であるのに対し,3体問題の技術的な困難は,ニュートンから2世紀以上経てもなお完全な答えは見つからなかったのですが,19世紀末から20世紀初頭にかけて,ポアンカレは3体問題を積分法で解くことは不可能であることを証明しています.

 3体問題は可積分でないという不存在証明が微分方程式論など数学に与えた影響は大きなものがあります.数学は数学内部から影響で進展するとともに,物理学,天文学,力学の強い外部的影響のもとで,関連しながら発展してきましたが,ヒルベルトは,ポアンカレを議長とする1900年の国際数学者会議で「数学の諸問題」という講演を行っています.ヒルベルトのあげた23の問題は数学のほとんど全分野にわたっていて,彼自身の研究と密接に関連しています.そのなかで,数学の発展をもたらした問題の例として,最速降下線の問題,フェルマーの問題,三体問題,正多面体の問題,代数関数論におけるヤコビの逆問題をあげていますが,フェルマーの問題がまったく純粋な思考の産物であるのに対して,三体問題は天文学上の必要性から生じたもので好対照をなしています.

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 二体問題の運動方程式はニュートンによって解かれ,その解はよく知られたケプラーの法則になります.ケプラーの法則では,すべての惑星はどれも太陽を1つの焦点とする同心楕円上を運行し,地球は永久にその楕円軌道を保ちながら太陽の周りを回り続ける周期軌道をとります.

 このように,二体の系においては軌道が安定するのですが,その系にもう一つ惑星をつけ加えると地球はもはや時計仕掛けのように正確で不変な軌道を保つことができず,カオス的にゆらぎ,ゆがめられてしまいます.3体問題は可積分でないばかりかカオスをも生ずるのです.

 この問題は天体がそれ以上になるとさらに難しくなります.実際の惑星の運動は,太陽と惑星との二体問題ではなく,他の惑星の重力の影響も絡み合った多体問題になります.太陽系は太陽と10の惑星が月や小惑星,彗星を伴って運動している大家族・大惑星系であり,その相互作用はかなり複雑となってしまうのです.

 1887年頃,最後の万能数学者と呼ばれたフランスの数学者ポアンカレは「すべての惑星は現在の軌道とほとんど同じ軌道上を今後も運動し続けるのだろうか.それとも,太陽系外に飛び去ってしまったり,太陽に衝突する惑星もあるのだろうか.」という太陽系の安定性について研究していました.

 ポアンカレによってスタートした力学系の研究から,多体問題の運動方程式を解くことは極めて難しいことが知られていて,周期的なものだけでなくで,不規則で予測できないもの−−−たとえば有界ではあるが周期的でない軌道や無限軌道−−−が現れることが証明されています.

 したがって,実際の惑星の運動はケプラーの法則が厳密には成立しないため,非常に複雑な運動になることがわかっていて,3つというごく少数の物体を記述する微分方程式を解くことさえ非常にむずかしく,その軌道計算は簡単には解けないのです.

 それに対するポアンカレの考え方は微分方程式の定量的な厳密解を求めることをあきらめ,微分方程式の解の大域的性質を幾何学的に研究すること,すなわち,解があるかないか,周期的かどうか,構造安定かどうかだけの定性的性質を調べるという位相幾何学的なものでした.

 現在,式の形でうまく解けなかった3体問題の微分方程式を数値的に解き,それをアニメーションの形で見ることができるようになりましたが,それでもまだ完全な解答には到達しておらず,近似的な結論ですが,「太陽系は安定か」という問いに対しては,大体周期的になる配置と惑星がさまよう出すような配置とが紙一重の差で混ざり合っているという答えが与えられています.

 力学系の理論はもともと太陽系の運動を研究するところから出発したのですが,天文学に限らず,素粒子物理学の世界でも事情は同じで,素粒子の数が3つ以上になるとやはり解析的な計算は困難になり,コンピュータを使った近似計算に頼ることになります.しかし,さらに複雑な系ではコンピュータ処理にも適用限界があり,間違った相互作用仮説に基づいて解析すると当然のことながら誤った結論を導くことになるので注意が必要です.場合によってはまったく間違った結果を導く可能性があり,相互作用をどう仮定し,多体問題をどう処理したかによって,いろいろな方程式が提唱されているというのが現状です.

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【4】まとめ

 ニュートン力学は「ある時刻での宇宙のあらゆる情報が与えられれば未来はすべて計算できる.」,「世界全体を複雑で巨大な時計仕掛けとみなし,この仕組みを完全に知れば今から世の終わりまですべて見通せるはずである.」という決定論的思想・古典力学的自然観を生み出しました.しかし,実際には三つの天体の運動でさえ誰も予見できないのです.

 19世紀後半のフランスの数学者ポアンカレは力学系理論の創始者・先駆者として名を知られ,その業績は数学や物理にコミットし深くて広いものがあります.ポアンカレは太陽系の運動に関する研究に関連してトポロジーを開発するとともに,もっとも単純な3体問題ですら厳密解が存在せず,力学系の理論は複雑極まりない軌道が現れる病理的(パソロジカル)な性質をもつことを証明しています.

 ポアンカレは太陽系の安定性に関する議論の中で解の安定性神話の崩壊ともいうべき複雑な現象<カオス>を指摘しましたが,太陽系のカオスはとても小さくあたかも解は安定で,コンピュータもなかった当時は目に見える形では示せなかったためほとんど注意を払われることはありませんでした.

 19世紀の電子計算機がなかった時代に,米国のニューカムは海王星までの8個の惑星系の安定性を調べるのための八元連立一次方程式の固有値問題を解くのに10年以上かかったといわれていますから,カオス現象を垣間みていたポアンカレは「心眼」でそれを見ていたということになります.

 ポアンカレによって,簡単な決定論的方程式に従う対象でも未来予測が不可能なことがあることが指摘されたことにより,決定論的プロセスと非決定論的プロセスとの境目はなくなり,決定論と非決定論という二分法は意味を失い,もはや成立しないものになりました.

 この事実は決定論的自然観に変革をもたらすものであり,新たに誕生した非決定論的自然観の中からハイゼンベルクの不確定性原理や物質本体の確率論的解釈をもとにした量子力学的自然観が登場します.

 ニュートン力学の不満な点を克服するのが統計力学や量子力学であり,これがやがて新しい突破口にもなっていくのですが,今日では,ニュートン的な考え方では捉えきれない非線形現象,カオス現象,フラクタルな現象などがさまざまな分野で発見されており,非線形現象を解析する数学の確立と進展が要請されています.決定論は神話に過ぎず,原則的に自然はカオティックであるのです.

 量子力学の領域でカオスを追求しているグッツヴィッラーは「月の運動はほとんどすべての物理系の数学的な記述に取りついている先天的な病気の比較的軽い症例にすぎない」と述べています.

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[補]ベンフォードの法則(ニューカムの法則)

 ベンフォードは対数表の対数表の最初が残りの部分よりもひどく汚れていることに気づき,「1ではじまる数が多いのはなぜか」という問題に説明を与えました.

 先頭の数字がどのような確率で出現するかを考えましょう.単純に各数字(0〜9)の出現確率が同じと考えれば,同じ確率1/9で現れるはずですが,実際には1から始まる数値が圧倒的に多く30%くらいもあります.

 たとえば,簡単な例として,2のベキ乗2^nを順に並べてそれぞれの最大桁の数を取り出すと

  2,4,8,16,32,64,128,256,512,1024,2048,・・・

  →2,4,8,1,3,6,1,2,5,1,2,・・・

となっているのですが,最大桁がk(1≦k≦9)である確率はn→∞のとき,

  log10((k+1)/k)

に収束することが知られています.

 したがって,最大桁の頻度は1が一番高く

  1→log102=0.3010,

以下,

  2→log103/2=0.1761,

  3→log104/3,

  ・・・・・・・・・,

  9→log1010/9=.0458

の順になるというわけです.

 このことは計算尺を見れば1で始まる数が全体の約30%を占めることとまったく同じで,逆に,9から始まる数値は4.5%程度まで落ちるのです.この現象はベンフォードの法則として知られていますが,実はアメリカの天文学者ニューカムが1881年に発見したのが最初ということです.

 驚いたことにベンフォードの法則もパワー則の表れだそうです.

  [参]松葉育雄「複雑系の数理」朝倉書店

にしたがえば,N桁の数字までの累積分布をP(N)とすると

  p(k)=∫(k,k+1)P(N)dN

と表されるのですが,ベンフォードの法則はP(N)としてベキ指数1のジップ分布

  P(N)〜1/N

を仮定することにより

  p(k)=∫(k,k+1)P(N)dN=log10((k+1)/k)

と再現できるというのです.

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