■原子物理学100年(その6)

  [参]山本義隆「原子・原子核・原子力」

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 2011年,福島の原発事故があって,α線とかセシウムとか,もはや避けては通れない言葉になっている.地震で制御装置が働き核分裂反応自体は止まったが,全電源喪失で冷却機能が失われ,燃料棒が融解,発生した水素が爆発して外部に放出された放射性セシウムは広島原爆160発分といわれている.

 原爆の非人間性はいうまでもないが,原子炉であってもその危険性は他の事故とは比較にならないほど大きい.石油化学コンビナートが爆発したとしても何カ月かあとには事故の跡地は更地に戻るが,原発事故の現場には放射性物質が溶け落ちて遺されているわけで,チェルノブイリも福島も今後何世紀も立ち入ることができない.チェルノブイリのときはそうは思わなかった人でも,福島の惨事を迎えたあとは本当に悔いが残るであろう.

 そしてそのツケは,原発に何の恩恵も受けなかった子々孫々まで,健康上の危険性のみならず,廃炉にするための後始末のコスト(負の遺産)まで押しつけられることになった.完全に無害になるには10万年単位という年月を要する.

 無害化する技術が将来考案されるかもしれないという脳天気な人もいるが,それはまったく現実的ではない.たとえ,地下に埋めたとしても,日本のように人口密度の高い地震国で,国中に活断層が走り,地下水系の豊富な国では,地下水までもが汚染されてしまうことになるだろう.

 原発自体が「トイレのないマンション」であり,基準値以下に薄めてではあるが海水中に放射線汚染水を廃棄せざるをえない.それと同時に「海水温上昇器」でもあるのだ.

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