■バナッハ=タルスキの定理(その2)

[1] 砂田利一著 「バナッハ・タルスキーのパラドックス」

[2] 志賀浩二著 「無限からの光芒」

を読みバナッハの原論文と比較してみた。[1],[2]とも、バナッハ・タルスキの定理のself-containedな証明が記載されている。

結局、バナッハ・タルスキのパラドックスのために必要な選択公理はハウスドルフの結果(ハウスドルフのパラドックス)を引用した箇所のみ。したがって、バナッハの原論文では、「ハウスドルフの結果により」と、一言あるだけ。一読しただけでは、選択公理をどこで使っているかは分からない。

[1],[2]ではself-containedな証明であるから、選択公理をどこで使っているのかは、分かる。

[1],[2]とも、図形の合同を、「群」を使って説明している。(合同変換は群をなす)バナッハは、あくまでも、群の概念を使わずに「合同」を定義している。しかも、論文中に、群という言葉は一度も使われない。ハウスドルフの本は未見であるが、彼も「群」という言葉は使っていないと推測する。機会があれば、調べてみたい。

おそらく、群論の言葉を使わずにハウスドルフのパラドックスを証明すると冗長になるのだろう。

バナッハ・タルスキのパラドックスは、いったんは忘れられた。そして、statementがわかりやすいため(豆と太陽は同じ大きさ? )数学の専門家以外からも、注目されるようになった。

しかし、当時のポーランド学派の論文には、これに匹敵するような奇怪な定理は結構あるのである。   (阪本ひろむ)

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