■パンルヴェ微分方程式とモノドロミー群

 数学的に重要な関数(三角関数や指数関数,ベッセル関数,超幾何関数,楕円関数など)の多くは比較的簡単な微分方程式の解として定義されている.たとえば,ベッセル関数や超幾何関数は2階の線形微分方程式の解であるし,ワイエルシュトラスのペー関数は1階の非線形微分方程式

  (y’)^2=4y^3−g2y−g3

の解である.それに対して,リーマンのゼータ関数やガンマ関数は微分方程式になじまない・・・と思っていた.

 ところが

 (1)ランダム行列の理論は数学の対象としても深い意味をもっていて,整数論におけるリーマン・ゼータ関数の零点分布の統計的性質がランダム行列によって再現できることから素数分布への関連づけががなされている

 (2)ランダム行列の固有値の最近接間隔分布や最大固有値分布がパルンヴェ方程式によって表現されること,したがって,可積分系との関連でも興味をもたれている

という.

 リーマン・ゼータ関数の零点分布に関する量がランダム行列を通じてパルンヴェ超越関数で記述されるという予想もある.これにより,ゼータ関数はパンルヴェ微分方程式と深い関係があるといってよいのだが,杉岡幹生氏もHPにゼータを生成する母関数と微分方程式

  y’=±(1−y^2)

の関連について掲げておられる.

 パンルヴェ方程式は動く特異点をもたない微分方程式の分類として紹介されているが,今回のコラムでは

  神保道夫「ホロノミック量子場」岩波書店

を参考にして,パンルヴェ方程式のもう一つ別の出自について紹介したい.

 1980年代,神保道夫と三輪哲二の「ホロノミック量子論」に関する仕事の中でパンルヴェ方程式は別の形で現れたのであるが,結論を先に述べると,パンルヴェ方程式は一般の線形微分方程式のモノドロミー保存を記述する方程式でもあったのである.

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【1】パンルヴェ方程式

 微分方程式を解くとき,一般的には既知の関数で解を表すことはまず期待できなくなります.そこで,発想を転換して,微分方程式の解の中に新しい特殊関数を見つけようという考えが生じるのは自然な発想と思われます.

 20世紀初頭,パンルヴェはこのような問題意識から出発して,動く特異点をもたない2階微分方程式をすべて分類することに成功しました(1900年).

パンルヴェ方程式とは,PI〜PVIと表される6個の2階非線形常微分方程式の総称です.パンルヴェ方程式のなかで一番簡単なPIは,

  y”=6y^2+x

ですが,右辺に2次の項y^2があるので,非線形方程式ということになります.非線形方程式では特異点の現れる場所が変わるという現象が起きるのですが,このことを指して「動く特異点」といいます.

  PII:y”=2y^3+xy+α,PIII,・・・

と進むにつれて式はだんだんと複雑になっていき,極め付けが

  PIV:y”=1/2(1/y+1/(y−1)+1/(y−x))y’^2−(1/x+1/(x−1)+1/(y−x))y’+y(y−1)(y−x)/x^2(1−x)^2(α+βx/y^2+γ(x−1)/(y−1)^2+δx(x−1)/(y−x)^2)

です.

 自然界の法則の大部分は微分方程式の形で表現されますが,線形と非線形の違いを簡単(きわめて不正確)にいえば,非線形方程式は未知数の二乗の項を含むこと,線形方程式は一乗の項しか含まないことです.たとえば,y’=yのように1次の項しかない微分方程式は解の重ね合わせが成り立つ,すなわち,解の和もその解となるので線形,y’=y^2+xのように2次以上の高次項(y^2など)やy”=xyのように交差項(xyなど)を含む微分方程式は解の重ね合わせの原理が成り立たないので非線形です.

 微分方程式はその解が初等関数,不定積分,逆関数の式で書けるとき,求積法で解けるといいますが,求積法で解けない微分方程式の最も簡単な例は

  y’=y^2+x

です(このことは1841年,リウヴィルによって証明された.)

 交差項xyをもつ微分方程式:

  y”=xy

は複素平面上の無限遠点に不確定特異点をもつ常微分方程式なのですが,線形化され,エアリー関数(過剰虹の計算に現れる特殊関数)が解となります.

 これらの古典解(線形微分方程式に帰着する解)としてPIIではエアリー関数,PIVではガウスの超幾何関数がすぐに読みとれます.式は示しませんでしたが,PIII,PIV,PVの古典解はそれぞれベッセル関数,エルミートの直交多項式,クンマーの合流型超幾何関数となります.

 このような線形方程式や楕円関数の微分方程式に帰着するものを除外して,非線形微分方程式を分類すると,6個のいずれかに帰着されるというのがパンルヴェの結論です.このような分類が困難な作業であったことは,関数論や微分方程式論を(深くも浅くも)学んだ経験のない小生にとっても容易に想像されるところです.

 フランスの数学者ポール・パンルヴェはパンルヴェ方程式と呼ばれる微分方程式に名を残す偉大な数学者であったのですが,それと同時に著名な政治家でもありました.数学から政治に転じ,そのために多くの時間を奪われるようになったことは惜しまれるところですが,衆議院議長の要職にあっても,週に2回はソルボンヌで流体力学の講義をしていたというから驚かされます.

 大統領候補に立って落選しましたが,彼は初めは物理学者として後には航空相として航空界の発展にも偉大な貢献をしていて,ライト兄弟がパリの空を飛行したときの最初の乗客であったり,大西洋横断をはたしたリンドバーグと一緒に写った写真も残されているそうです.

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【2】パンルヴェの超越関数とモノドロミー群

[1]関数を把握するにはその特異点を知る必要がある.微分方程式が線形であれば特異点は微分方程式の係数の極に限られるが,非線形の場合,解の特異点を方程式から知ることは一般にはできない.

 積分定数に依存した特異点は「動く特異点」と呼ばれる.1900年,パンルヴェは動く特異点をもたない2階常微分方程式を分類することに成功した.このうち,既知の関数で求積できるものを除くと,6種の新しい方程式PI〜PVIが得られる.近年,物理学(可積分系)に現れて脚光を浴びているパンルヴェの微分方程式PVIも0,1,∞の動かない特異点以外に動く特異点をもつ重要な方程式となっている.

 パンルヴェ超越関数は動く特異点をもたない解をもつ2階の方程式の分類の見事な産物であったというのが【1】の要約である.

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[2]もうひとつの出自

 パンルヴェの超越関数はリーマンに始まる線形微分方程式のモノドロミー群の問題とも関係している.モノドロミーとは関数の多価性を測る尺度のことで,リーマンは超幾何微分方程式の場合を解決した(リーマン面の一意化).→超幾何関数のモノドロミー群については,コラム「超幾何関数のはなし」を参照されたい.

 フックスはモノドロミー群が一定に保たれるための条件として,非線形の微分方程式を得たのだが,これはPVIとまったく同じものであった(1905年).PVIという最も単純な場合はフックス系であり,そのモノドロミーは単に2×2行列の3つの組によって与えられる.PI〜PVについても同様の意味付けができることが明らかにされている.

 パンルヴェ方程式の発見から程なく,もう一つ別の出自をもっていることが明らかになったわけであるが,いいかえればパンルヴェ方程式は「動く特異点をもたない微分方程式の分類」というだけでなく,一般の線形微分方程式の「モノドロミー保存」を記述する方程式でもあったのである.

 モノドロミーがわかったからといってパンルヴェ超越関数は本質的に新しい超越関数なので,既に知られたような既知関数で具体的な解を与えるわけではない.しかし,解に対する大域的な微分幾何構造を与えてくれるので,これらの方程式は等モノドロミー変形問題によって決定されるという意味において可積分なのである.

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【3】まとめ

 パンルヴェ方程式の発見から1世紀のときが流れた.パンルヴェ方程式は1910年代に未完成のまま現代数学の表舞台から姿を消してしまったが,近年,再び物理学(可積分系)の問題に現れて復活し,ソリトン方程式の特殊解としてあるいはランダム行列などの局面にも登場することで,脚光を浴びている.パンルヴェ関数自身は次第に現代の特殊関数としての位置を確実なものにしていて,100歳になる現在でも新鮮さを失わず異彩を保ち続けているのである.

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【補】固有値の最近接間隔分布と最大固有値分布

 ランダム行列の応用として,固有値の並びの順序を考慮に入れた統計量が必要になります.固有値の最近接間隔分布と最大固有値分布はその例ですが,これらはパンルヴェ方程式の解によって表されることが明らかになっています.

[1]最近接間隔分布

 最近接間隔分布は,固有値密度がウィグナーの半円則で与えられているとき,非線形微分方程式:パンルヴェV

  PV:y”=(1/2y+1/(y−1))y’^2−1/x・y’+(y−1)^2/x^2(αy+β/y)+γ/x・y+δy(y+1)/(y−1)

を解くことによって評価できることが示されています.

 PVの古典解はクンマーの合流型超幾何関数となります.そしてそのx→0での漸近形,x→∞での漸近形より,最近接間隔分布のウィグナー近似

  s^βexp(−as^2)   β=1,2,4

が得られます.

 最近接間隔分布は,尺度母数aや形状母数βの値によって,

  1次のウィグナー分布:p(s)=π/2sexp(-π/4s^2)

  2次のウィグナー分布:p(s)=32/π^2s^2exp(-4/πs^2)

  4次のウィグナー分布:p(s)=262144/729π^3s^4exp(-64/9πs^2)

などとなりますが,指数関数の引き数はいずれも2乗の形s^2であることに注意してください.

 ウィグナー近似(ウィグナー分布)は実用上役立つ良い近似を与えてくれるのですが,パンルヴェVによって記述される厳密解とはわずかに異なっていることが知られています.

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[2]最大固有値分布

 それに対して,最大固有値分布は非常に簡単な(しかし非線形の)パンルヴェII

  PII:y”=2y^3+xy+α

の解を使って書くことができます.

 PIIの古典解はエアリー関数

  Ai(x)=1/π∫(0,∞)cos(1/3t^3+xt)dt

となるのですが,この積分は虹の理論において導入されたため虹積分と呼ばれることもあります.PIIの解の中で,境界条件がエアリー関数となるものを使えばよいというわけです.

 なお,x→∞におけるエアリー関数

  Ai(x)=1/π∫(0,∞)cos(1/3t^3+xt)dt

Ai(−x)の極限形は

  Ai(−x)〜cos(2x^(3/2)/3−π/4)/π^(1/2)x^(1/4)

ベッセル関数Ja(x)の極限形は

  Ja(x)〜(2/πx)^(1/2)cos(x−πa/2−π/4)

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