■寺田寅彦とフラクタル(その1)

 金平糖のできる過程はひとつの非線形現象なのですが,金平糖や線香花火については,吉村冬彦,薮柑子のペンネームでも知られる寺田寅彦の随筆があり,寺田寅彦はそのなかで,だれもやらない研究の中にこそ重要な問題のあることを強調しているそうです.

 尺度変換によって不変な形として,「フラクタル」という概念があります.フラクタルとは,有限の空間に無限の集合がたたみこまれたもので,ロシアのマトリョウシカ人形のように相似形が入れ子構造になっていて,拡大すると自己相似パターンが認められるものを指します.いくらでも小さいスケールで自分自身を再現するパターン,いたるところで微分不可能な連続曲線といったほうがわかりやすいかもしれません.

 フラクタル構造の代表例が,ガラスのひび割れ,線香花火の火花の形,雪の結晶,金平糖の角の造形成長パターンなどです.フラクタル構造を解明することによって,たとえば,木のような構造をもつ気管支の形態と機能の生物学的発達が説明できたり,また,銀河は宇宙上に一様に生ずるのではなく,むしろクラスターとして存在していますが,宇宙のフラクタル構造の解明がその起源の理解に導いてくれます.

 長い間,物の形は自然科学の対象とはなりえませんでした.それは自然の形が定量化できなかったからにほかなりませんが,しかし,誰もがそのパターン形成のメカニズムを知りたいと考えてきました.

 わが国では数多くの随筆を残している文化人としても高名な「天災は忘れた頃にやって来る」の物理学者,寺田寅彦を中心とした研究グループが形態形成にはそれぞれの原因があると考えて形因論を展開し,その先駆的な研究に携わっています.

 寺田寅彦はX線結晶学に関して世界に誇れるような仕事をしているのですが,寅彦の研究歴はX線が回折されるパターンに始まり,その後,日常身辺の現象に対しても科学的な考察を施し,芸術と科学の一体化を図っています.

 彼の考えは「金平糖の研究」などによく現れていて,氷の割れ方や川の流れ方など一見でたらめな形への関心を示し,今日でいうゆらぎやパターン形成など非線形性現象の草分け的存在になっています.なお,夏目漱石の「我が輩は猫である」の寒月先生,「三四郎」の野々宮さんは彼がモデルとされています.

 パターンの形成過程に潜む法則性については彼が育成した研究者,例えば,電気火花やガラスのひび割れパターン,キリンの斑模様については平田森三が,雪片の幾何学(雪の六角結晶像)については中谷宇吉郎が研究を進めました.中谷宇吉郎は「雪は空からの手紙である」という有名な言葉を残していますが,これは雪の結晶を見るとどのような気象条件のところを通過してきたか判断できることを述べたものと思われます.

 私には,寺田寅彦や中谷宇吉郎の時代には,時代精神として,すべての科学者にロマンが共有されていたしたように思えて,妙に懐かしく感じられます.ところで,中谷宇吉郎が雪の結晶は天からの手紙という言葉を残してからすでに半世紀の年月が経過していますが,天からの手紙は解読されたといえるでしょうか.科学者たちは今やっと雪片のパターンに含まれるメッセージを解読し,どのようにして雪片が成育するかの理論を構築し始めたばかりです.

 水の分子が凝集した雪の結晶化現象はあまりにも複雑な挙動を示し,幾多の撹乱因子も重要な役割を果たしていて,毎回毎回,二度と再現できないような形が現れます.この問題についてのわれわれの理解はようやくその糸口をつかんだばかりで,内容についてはまったくの未解決問題,すなわちほとんど何もわかっていないというのが現状であるといわざるを得ません.

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