■ビリヤード問題

 粒子が平面内のある領域内を運動し,境界では入射角と反射角が等しいという反射の法則に従う力学系を考えます.「ビリヤード問題」とは境界の形に依存して様々な振る舞いをみせるこの粒子の運動を研究することをいいます.

 最も単純なビリヤード系は境界が長方形あるいは円形で与えられるものですが,それでは三角形のビリヤード台や長方形を1対の半円ではさんだ競技場型のビリヤード台ではどのような運動を示すのでしょうか.

 長方形のビリヤード台ならば(熟練した人なら)ボールが正確に元の位置に戻ってくるようにできますが,角の丸い競技場型のビリヤード台となるとプロのハスラーの腕をもってしても難しくなります.ボールの軌跡は予測可能であったりカオス的であったりするのですが,カオス的な状況では初期条件の影響を大きく受けるので,結果は予測不可能になってしまうのです.

 実はこの問題は一見何の関係もない数論の問題(ゼータ関数とリーマン予想)とも深く関わってきます.今回のコラムでは物理学と数論の間に存在する相互律をみていくことになりますが,その雰囲気が少しでも伝われば幸いです.

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【1】長方形ビリヤード(可積分系)

 長方形のビリヤード台を考える.東西方向の壁にぶつかるときは南北方向の運動量の向きだけが逆になり,南北方向の壁にぶつかるときには東西方向の運動量の向きだけが逆になる.したがって,どんな軌道であろうと4通りの向きにしかならないのでこの運動は完全に予測可能である.

 このように初期条件が与えられると未来を予測することができるような力学系を可積分系という.可積分系とは元来力学用語で,線形化可能あるいは線形系と関連づけられる非線形力学の総称であり,複雑系に対比される概念である→[補].

 また,ある位置からある角度でビリヤードの球を発射させると,何回か壁にあたった後,最初と同じ位置・同じ角度で戻ってくる場合がある.n回壁にあった後,同じ状態に戻る場合をn周期軌道と呼ぶことにすると,与えられたnに対して発射角度を求めるというのはおなじみのビリヤード問題であろう.

 この問題に対する基本的な考え方は,球を反射させる代わりに,ビリヤード台の鏡像を枠の外に作ってやるというものである.すなわち,軌道自体を折り曲げる代わりに衝突するたびに衝突した辺を軸にビリヤード台自身をひっくり返すのである.

 このような図形を鏡像群と呼べば,鏡像群を貫く直線がビリヤード球の軌跡に対応する.そして,この表示法のもとで長方形の互いに向かい合う辺同士をを同一視するとトーラスが得られる.トーラスの中で長方形ビリヤードの軌道は単純な直線運動で表されることになる.

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 長方形ビリヤードの周期性について考えると,長方形ビリヤードが周期的となるための条件は軌道方向(tanθ)が有理数であることである(ビリヤード台の縦横比あるいはそれぞれの長さは無理数でもかなわない).軌道方向が無理数の場合,軌道は非周期的となり軌道が領域を埋めつくす.それに対し,周期軌道では軌道が領域を埋めつくすことはない.周期軌道は無数に考えられるが,非周期軌道は周期軌道より圧倒的に多数を占めるのである.

 ついでに円型のビリヤード台(可積分系)では火線(コースティック)に対応する規則的な軌道がみられることを申し添えておく.数学的には包絡線というのだが,光学分野では焦線(caustic)あるいは火線という名で知られている.焦点では光が1点に集まるが,焦線とは点ではなくて線をなす場合をいうのである.楕円型ビリヤード台,外円(外球)と内円(内球)の2つの円(球)に挟まれた領域からなるビリヤード台なども可積分系である.

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[補]可積分系と保存量

 微分方程式を解くことを「積分」するといいます.17世紀にニュートンが解明したケプラー運動(2次曲線)をはじめとして,三角関数で解ける調和振動子,楕円関数で解ける単純振り子,コマの運動方程式(コワレフスカヤ)など,19世紀には様々な解ける=積分できる力学系が知られていました.19世紀半ばにリュービルはこれらの力学系の本質が「保存量」の存在にあることを見抜き,可積分系の明確な定義を与えました.例えば,軌道に沿ってエネルギーが変化しない系(保存系)を表わす関数をハミルトン関数といい,物理の世界では運動の全エネルギーを表わすものとして有名です.

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【2】多角形ビリヤード(擬可積分系)

 頂角のまわりで鏡像を貼り付けていって1周で鏡像群が元に戻るものが可積分な多角形ビリヤード系となりうる.したがって,長方形以外にも頂角がすべて2π/q(qは整数)で与えられる場合が可積分系となるのだが,頂角が(30°,60°,90°),(45°,45°,90°)の直角三角形あるいは正三角形はその例であり,可積分な三角形ビリヤードはこれですべてである→[補].

 それに対して,頂点が1つでも2πp/q(qは偶数で,p,qは互いに素)で与えられる多角形ビリヤードは可積分系にはならない.たとえば,頂角がπ/3,2π/3の菱形ビリヤード(正三角形を2個くっつけた菱形)では頂角のまわりの鏡像群は元に戻らない.元に戻るためにはp回転しなければならず,2q枚のビリヤード台の鏡像が必要になるため(いわばらせん状に回転するのであって)軌道面はトーラスを作ることができないのである.

 可積分系とカオス系の境界に位置する力学系を擬可積分系と呼ぶのだが,頂点のうち1つでも2πp/qとなるような多角形ビリヤードがその例である.擬可積分系では,軌道面はトーラス(種数g=1)こそ構成しないものの,複数個のハンドルをもった不変曲面(g≧2個の穴の空いたドーナツ型)の上に乗っているのである.

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 頂点がすべて有理数×πで与えられるものばかりでなく,無理数×πで与えられるものを含む一般の三角形ビリヤードの周期性について考えてみよう.鋭角三角形のビリヤード台を考えると,各辺で1回ずつ反射して常に同じ軌道をぐるぐると周り続ける巡回軌道が存在する.また,三角形の内部を2回以上回って最初の点に戻るような巡回軌道は無数に考えられる.

 三角形ビリヤードの場合,球があたる壁を中心として鏡像を貼り付けていくと,6個目の鏡像で最初の三角形を平行移動させたものが登場する.このことは任意の位置から特定の角度でビリヤードの球を発射させると6回壁にあたった後,最初と同じ位置・同じ角度で戻ってくることができることを意味している.

 ちょうど1周で最初の点に戻る巡回軌道はあらゆる巡回軌道のなかで最短のものであって,三角形の各頂点から対辺に下ろした垂線の足を結ぶ垂足三角形に限られる.すなわち,垂線の足の位置から他の垂線の足の位置に向けてビリヤードの球を発射させると,3回壁にあたった後,最初と同じ位置・同じ角度で戻ってくるのである.

 三角形の内部を2回以上回って最初の点に戻るような巡回軌道でもこの軌道上の各辺はいずれも垂足三角形の辺と平行である.また,四角形ビリヤードでは,四角形が円に内接し円の中心が四角形の内部にある場合,そのような四角形の内部には巡回軌道が存在しうることが知られている.

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[補]3次元ビリヤード

 それではビリヤード球が立方体の内部で各面で1回ずつ反射して,常に同じ軌道をぐるぐると周り続けることは可能だろうか? これは可能であって,スタインハウスが発見した例は各面を3×3に分割した升目の角をイス型に巡回するものである.また,コンウェイは正四面体において同様の巡回軌道を発見している.それは各面の中央に正四面体の辺の1/10の長さをもつ正三角形の頂点を通るものである.

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【3】カオティックなビリヤード(非可積分系)

 ぶつかるごとに運動量の向きが様々に変化するようなビリヤード系では,軌道の種類は非常に豊富になり,粒子の振る舞いは初期状態に鋭敏に依存し確率的になる.

 非線形な力学系では初期状態に含まれるわずかの誤差が系の未来をがらりと変えることがある.リオデジャネイロで一匹の蝶が羽ばたいたため,数週間後にテキサスで大竜巻が起こることさえあり得るのである(バタフライ効果).このように決定論的法則に従う運動で初期状態に対する鋭敏な依存性をもつものをカオスという.

 カオスは一見秩序的な振る舞いをしない予測不可能な振る舞いをするランダム現象のようであるが,実は決定論的な方程式によって記述されていて,その解は初期値により完全に決定されているものである.言い換えれば,複数の相互作用をもっているために非常に複雑でいかなる予測も許さない無秩序に見える現象で,ランダムネスを真似た決定論的システムであるがゆえに予測不可能なものと言い換えてもよい現象なのである.

 例をあげると,正三角形のビリヤード系は可積分系であるのに対し,3つの円弧で囲まれたビリヤード系はカオス系であることが示されている.また,長方形や円型ビリヤードは可積分系であるが,長方形を1対の半円ではさんだスタジアム・ビリヤードも単なる円や長方形内での規則運動とは異なってカオス運動を示す.円の一部を直線に置き換えた形,長方形の各辺を円弧状にした形,正方形の外壁と円形の内壁に挟まれた形などもカオス系となる.

 カオスには周期性がないので不規則なパターンしか現れないが,

  1)ビリヤード内の波動関数を描くと周期軌道の痕跡をもつこと,

  2)エネルギー準位の最近接間隔分布がランダム行列理論の示唆するウィグナー分布に従うこと

はよく知られている.壁の曲率の変化に対応して各エネルギー固有値も変化するが,にもかかわらず最近接間隔分布はすべてウィグナー分布でよく近似できるというわけである.

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 ここで誤解してならないのはカオス系であっても周期軌道は存在することである.しかもカオスの海の中に埋もれた周期軌道の数は周期が長くなると指数関数的に増える.

 そして,量子カオスの理論はIBM研究所のグッツヴィラーによって導かれてた跡公式を基礎として発展している.グッツヴィラーの跡公式は古典系のすべての周期軌道を用いれば非可積分系の固有エネルギーを予測できるという周期軌道理論の公式である.

 リーマン・ゼータ関数の零点の最近接間隔分布がランダム行列のGUEの間隔分布と一致するという事実はすでにコラム「ゼータ関数の零点分布と量子カオス」のなかで紹介したが,グッツヴィラーによるこの周期軌道数の分布則もリーマン・ゼータ関数の零点密度とそっくりな形をしているなど,量子カオスの問題は跡公式(trace formula)を媒介として数論の問題にも転化するのである.

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[補]鏡映三角形による平面充填

 三角形P(黒塗り)とそれを裏返した三角形Q(白塗り)の2つを交互に並べて,平面全体をタイル張りすることを考えます.たいていの場合は途中でタイル同士が重なってしまいますが,うまくいくと市松模様のタイル張りができあがります.

(Q1)Pがどのような形のとき,このようなタイル張り(平面の市松模様三角形タイル張り)が可能であろうか?

(A1)これが可能なためには,1つの頂点で偶数個の3角形が交わらなければならないので,これを2aとおく.また,その頂点の角度をαとおくと,頂点を一回りしたので,2aα=2π.ゆえに,

  α=π/a   ただし,aは2以上の自然数.

 まったく,同様に残り2つの内角に対しても

  β=π/b,γ=π/c

 また,α+β+γ=πより

  1/a+1/b+1/c=1

 この等式を満たす(a,b,c)の組は非常に少ない.便宜上,a≧b≧cとすると

  (3,3,3) → 正三角形

  (4,4,2) → 直角二等辺三角形

  (6,3,2) → 30°,60°,90°の三角形

の3種類が得られる.

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(Q2)1つの3角形を辺に関して次々折り返していって,3角形が互いに重なることなく,平面を埋めつくすことができるか?

(A2)この問題も平面を鏡映三角形で埋めるというものですが,市松模様という条件がなくなっているので,1つの頂点に会する三角形は偶数に限る必要はありません.

  α=2π/p   ただし,pは3以上の自然数.

 まったく,同様に残り2つの内角に対しても

  β=2π/q,γ=2π/r

 また,α+β+γ=πより

  1/p+1/q+1/r=1/2

が成り立ちます.

 ここで,3≦p≦q≦rと仮定すると

  1/2=1/p+1/q+1/r≦3/p

より,3≦p≦6

 さらに,pが奇数のとき,頂点Aからでる2辺の長さは等しくならなければなりません.そうしないと,折り返しでうまく重ならないからです.したがって,

(i)p=3のとき,q=rなので,

  q(q−12)=0

これより,(p,q,r)=(3,12,12)

(ii)p=4のとき,(q−4)(r−4)=16

これより,(p,q,r)=(4,5,20),(4,6,12),(4,8,8)ですが,(p,q,r)=(4,5,20)は必要条件を満たすものの,十分条件を満たさない,すなわち,1点のまわりだけは完全に埋められても平面のタイル張りになりません.凸な多角形では七角以上になるとどんな型のものも平面充填はうまくいかないのです.

(iii)p=5のとき,q=rより,

  q(3q−20)=0

これを満たす3以上の整数はありません.

(iv)p=6のとき,(q−3)(r−3)=9

これより,(p,q,r)=(6,6,6)

 結局,求めるタイル張りは

  (6,6,6) → 正三角形

  (4,8,8) → 直角二等辺三角形

  (4,6,12) → 30°,60°,90°の三角形

  (3,12,12)→ 30°,30°,120°の三角形

の4通りあることになり,実際に十分条件を満たします.

 30°,30°,120°の角をもつ三角形は,正三角形格子(3,6)の各面を3個の合同な三角形に分解することによってできるモザイク模様です.「麻の葉」文様と呼ばれるくり返し文様なのですが,日本では古くから装飾工芸品や寄木細工のデザインなどとして用いられていますから,ご存じの方も多いと思います.

 30°,60°,90°のモザイクは,30°,30°,120°の三角形からなるモザイクをさらに2個の直角三角形に分解してできる模様,直角二等辺三角形モザイクは正方格子(4,4)を4分割したもの,正三角形は正三角形格子(3,6)そのものです.

 ニュートン数を,一般の図形Sに接することができるSと合同な図形の最大数と定義して,ニュートン数を求めてみると,

   平面図形          ニュートン数

  正三角形              12

  直角二等辺三角形          14

  直角三角形(4,6,12)     16

  二等辺三角形(3,12,12)   21

  正方形                8

  正n角形(≧5)           6

  ルーローの三角形           7

  定幅図形              ≦7

  平面充填可能な凸板        ≦21

 平面充填可能な凸板のニュートン数は高々21となることが示されていますから,30°,30°,120°の角をもつ三角形による敷き詰め「麻の葉」は最大値に達していることがわかります.

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