■統計力学序説(その4)

 χ^2分布は距離の2乗の和の分布と考えることができますが,そもそも,距離の2乗の和にとくに具体的な意味があるようには思えません.むしろ,2乗を取り去ったほうが問題としては自然です.そこで,ここではχ^2分布の平方根分布(χ分布)について考えてみます.

 自由度nのχ^2分布の確率密度関数式

f(x)=1/(2n/2Γ(n/2))・(x)n/2-1・exp(−x/2)

0≦x<∞

において,x=y^2と変数変換すると,dx=2ydyより,χ分布の確率密度関数

p(x)=1/(2n/2-1Γ(n/2))・(x)n-1・exp(−x^2/2)

0≦x<∞

が得られます.

mean=Γ((n+1)/2)/Γ(n/2)

variance=Γ(n/2+1)/Γ(n/2)-{Γ((n+1)/2)/Γ(n/2)}^2

mode=√(n-1)(n>1)

 とくに,自由度1のχ分布は半正規分布

  f(x)=1/σ√(2/π)exp(-x^2/2σ^2)

であり,この分布は期待値が0の正規分布f(x)=1/σ√(2π)exp(-x^2/2σ2)をx=0で折り返した分布になっています.

 また,自由度2のχ分布はレイリー分布:f(x)=x/σ^2exp(-x^2/2σ2),自由度3のχ分布はマクスウェル分布:f(x)=2^(3/2)/σ^3x^2exp(-x^2/2σ2)

と命名されています.

 χ^2分布は主として統計分野で用いられていますが,χ分布,とりわけ,レイリー分布は英国のレイリー卿が音響工学との関連でこの分布を発見したことに由来し,マクスウェル分布は気体分子の速度分布と関係した物理学上の重要な分布関数になっています.

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 マクスウェル,レイリーの後,ミラーが多次元正規分布での原点からのユークリッド距離の確率分布として一般的なχ分布を導いています.ミラーにならって,レイリー分布・マクスウェル分布を導いてみましょう.

 n次多次元正規分布は

p(x1,x2,x3,・・・,xn)=1/(2π)n/2σnexp{-(x12+x2+・・・+xn2)/2σ^2)で与えられます.多次元正規分布の場合,低次元の場合とは対照的に,密度の裾にあたる領域に大部分のデータが存在することになります.また,多次元ユークリッド空間の点(x1,x2,x3,・・・,xn)は

r>0,0≦θ1,θ2,・・・,θn-2≦π,0≦θn-1≦2πを満たすr,θ1,θ2,・・・,θn-1によって,

x1=rcosθ1

x2=rsinθ1cosθ2

x3=rsinθ1sinθ2cosθ3

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

xn-1=rsinθ1sinθ2・・・sinθn-2cosθn-1

xn=rsinθ1sinθ2・・・sinθn-2sinθn-1

と表すことができる(ただし,n=2のときは,周知のとおり,x1=rcosθ1,x2=rsinθ1とする)

(r,θ1,θ2,・・・,θn-1)がn次元極座標である.

そのときヤコビアンD(x1,・・・,xn)/D(r,θ1,・・・,θn-1)は

r^(n-1)sin^(n-2)θ1sin^(n-3)θ2・・・sin^2θn-3sinθn-2

となる.

 同様にして

ds=sin^(n-2)θ1・・・sin^2θn-3sinθn-2dθ1dθ2・・・dθn-1

dx1dx2・・・dxn=r^(n-1)drds

ここで,n次元単位超球の表面積をnVnで表すと

p(x1,x2,x3,・・・,xn)dx1dx2・・・dxn=nVn/(2π)n/2σnexp{-(r2)/2σ^2)r^(n-1)dr1/nVnds

Vn=π^(n/2)/Γ(n/2+1)

より

p(x1,x2,x3,・・・,xn)dx1dx2・・・dxn=1/(2^(n/2-1)Γ(n/2))σnexp{-(r2)/2σ^2)r^(n-1)dr*Γ(n/2)/(2*π^(n/2))ds

が得られる.

 1/(2^(n/2-1)Γ(n/2))σnexp{-(r2)/2σ^2)r^(n-1)はχ分布の密度関数,(2*π^(n/2))/Γ(n/2)はn次元単位超球の表面積である.

 このような理由から,近年,χ分布は一般化されたレイリー分布(generalized Rayleigh distribution)として論文にも引用されることが多くなっています.とくに,χ分布は電気通信分野で広い応用範囲を有して,その分野ではm分布とも呼ばれています.

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【補】マクスウェルとレイリー

 キャベンディッシュは既知の質量をもつ2つの物体間に働く万有引力を初めて実測した人物として人々に記憶されていますが,彼の一族による基金の調達により,英国ケンブリッジにキャベンディッシュ研究所が設立されました.この研究所は物理学の研究および教育機関であり,物理学の近代的大発展はこの研究所と切り離すことのできない関係にあります.

 マクスウェル,レイリーはともに所長を努めていますが,以後,J.J.トムソン,ラザフォード,ブラッグなどそうそうたる面々がキャベンディッシュ研究所の指導を引き継いでいます.この有名な研究所はその後もこの分野で多くのノーベル賞受賞者を育み,物理学の中心的な役割を担って,原子核物理学における世界の中心的な存在となっていったのですが,ブラッグ卿はこの研究所の所長に就任したとき,過去の栄光にとらわれることなかれ,流行を追うな等々,刮目に値する5項目の注意事項を並べたとされています.

 マックスウェルの最大の功績はさまざまな電気的・磁気的現象を表すことのできる簡単な方程式を見いだし,電気と磁気がそれぞれ単独では存在できないことを明らかにしたことですが,光にも興味をもち,光の3原色を青・緑・赤としこれらを適当に混合して任意の色が得られるとしています.この原理は今日,カラーテレビ,カラー印刷等で応用されているので,ご存知の方も多かろうと思います.

 また,レイリー卿(本名ウィリアム・ストラット)はアルゴンの発見により,1904年にはノーベル物理学賞を受けていますが,非常に多彩な研究経歴の持ち主で,物理学の多くの領域で才能をふるったことで知られています.音響工学や光学にも多くの業績を残していますが,それ以外では,たとえば,水面上には油の単分子膜が存在すること,油の分子の直径は約1nmであることを推察しています.19世紀の終わり頃,分子はまだ仮説的な存在であって,いわんや,分子の構造や大きさなどを実験的に測定することは不可能でしたから,大変な慧眼であったというわけです.

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