■菱形六面体の切頂(その3)

 デューラーの銅版画「メランコリアI」は1514年に製作された.この銅版画には不思議な多面体が描かれている.この多面体は菱形六面体の2頂点を黄金比に切頂してできる八面体であるという説がある.最近,釜石南高校の宮本次郎先生のレポートで読んで,この八面体の謎が榎本和子さんによって明らかにされていることを知った.

 正五角形に対角線を描き入れると星形五角形(ソロモンの星)ができる.星形五角形の内部にはもとの正五角形を天地逆転させた小さな正五角形ができる.その中にまた星形五角形を作ると再び順方向の正五角形ができる.このように正五角形は無限に続く入れ子構造を有している.この入れ子構造の背後には黄金比が潜んでいる.黄金比は興味深い数であって,フィボナッチ数列とも密接な関係があることはご存知であろう.

 黄金比によって入れ子構造が生み出されているのだが,逆にいえば,このような構造を有することが正五角形の特徴となっている.そして,頂角72°の菱形六面体を黄金比切頂してできるデューラーの八面体が正五角形のように無限に続く相似な八面体の入れ子構造を有するというのが榎本さんの説である.

 つまり,この八面体は正五角形の3次元空間におけるアナローグ(類似物)と考えられるというのである.榎本さんの結果は大きな関心を呼び,NHKの「日曜美術館」や「クローズアップ現代」でも取り上げられたらしい.

 この多面体について調べているうちにこの八面体が球に内接することは確認がとれたが,しかし,同時にいろいろな疑問も湧いてきた.もとになる菱形六面体とそれを切頂した八面体の相似比が黄金比にならないことは前回のコラムでも述べたが,今回のコラムでは,もう1つの疑問「この八面体には頂角72°の菱形六面体が本当に内接するのであろうか?」という点について自問自答することにした.

 結論を先にいうと,デューラーの八面体の榎本説には(外接球の方ではなく)無限入れ子の方に若干のずれがあったのである.

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【1】切頂八面体の計量

 これまで同様,菱形の鋭角が3つ集まって構成される頂点を原点として,この菱面格子の3つの基本ベクトルを

  a↑=(d,1,0)

  b↑=(d,−1,0)

  c↑=(x,0,z),x^2+z^2=d^2+1

とおきます.

 すると,切頂によってできる正三角形面のそれぞれの中心(重心)は

  ((2d+x)t/3,0,zt/3)

  ((2d+x)(1−t/3),0,z(1−t/3))

と計算されます.この2点が菱形六面体の頂点になるわけですから,その相似比sは

  s=1−2t/3,t=2(d^2−1)/(d^2+1)

で与えられます.

 菱形の鋭角が3つ集まって構成される菱形六面体の2つの頂点

   (0,0,0),

   (2d+x,0,z)=a↑+b↑+c↑

を結ぶベクトルとx軸のなす角ψは

   tanψ=z/(2d+x)

ここで

  x=d−1/d

  z^2=3−1/d^2

ですから,

  tanψ=1/zd

 これより,

  cosψ=zd/{(zd)^2+1}^((1/2)=z/√3

  sinψ=1/{(zd)^2+1}^((1/2)=1/d√3

  cos2ψ=1−2/3d^2

  sin2ψ=2z/3d

と求められます.

 次に,2つの頂点を結ぶ直線を軸として菱形六面体を天地逆転させることを考えます.このことは(x,y,z)座標系をy軸の周りに2ψ回転させた(ξ,η,ζ)座標系を考えることと同じことになり,(x,y,z)座標系との変換式は

  x=ξcos2ψ−ζsin2ψ

  z=ξsin2ψ+ζcos2ψ

で与えられます(平面の回転).

 菱形六面体の頂点(ξ,0,ζ)をξ軸の周りで天地逆転させると(ξ,0,−ζ)に移ること,また,内接させる菱形六面体ともとの菱形六面体の相似比を

  s=1−2t/3

とすると

  ξ=sx,ζ=−sz

 さらに,天地逆転させた菱形六面体を正三角形面の中心(重心)

  ((2d+x)t/3,0,zt/3)

に平行移動させなけれなりませんから,(ξ,0,−ζ)のz座標(z’)は,

  z’=zt/3+ξsin2ψ+ζcos2ψ

    =zt/3+2sxz/3d−sz(1−2/3d^2)

 ただし,ここで

  x=d−1/d,z=√(3−1/d^2)

  t=2(d^2−1)/(d^2+1),s=1−2t/3

で与えられることになります.

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【2】計算結果

z’

  θ=60 .362889

  θ=63.4350(黄金菱面体) .264663

  θ=70.5822(白銀菱面体) .0570064

  θ=72(デューラーの八面体) .0157546

  θ=76 -.0997527

  θ=80 -.212723

  θ=82 -.267706

  θ=90(立方体) -.471403

  θ=72 .0157546

  θ=72.1 .0128483

  θ=72.2 .0099436

  θ=72.3 7.03931E-03

  θ=72.4 4.13537E-03

  θ=72.5 1.23245E-03

  θ=72.6 -1.66994E-03

  θ=72.7 -4.57168E-03

  θ=72.8 -7.47234E-03

  θ=72.9 -.0103722

  θ=73 -.0132716

 内接するための条件は

  z’=0

ですが,頂角が72°のときz’>0であって内在することがわかります.また,頂角が72.6°以上になるとz’<0で頂点は外にはみ出してしまいます.

 この計算は単精度で行いましたが,有効数字は5桁あれば十分と思われます.数値計算上0.5°〜0.6°の差が計算誤差の範囲内とは考えられませんから,菱形六面体→外接球を有する切頂八面体→菱形六面体→・・・が無限系列となるための条件は頂角が72°のときではなく,約72.5°〜72.6°のときと判明しました.

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 次に,頂角θ=72°の切頂八面体に内接する菱形六面体の頂角を求めてみることにします.縮小前の菱形六面体の菱形面の対角線の長さを2d0と2,頂角をθ0とします.

   x0=d0−1/d0,z0=√(3−1/d0^2)

   cosψ0=z0/√3,sinψ0=1/d0√3

 この場合はa↑+b↑+c↑軸の周りでこの菱形六面体を天地逆転することになるわけですから,新しい座標系はψ+ψ0回転させたものとなります.

  x=ξcos(ψ+ψ0)−ζsin(ψ+ψ0)

  z=ξsin(ψ+ψ0)+ζcos(ψ+ψ0)

 また,菱形六面体の縮小係数をsをおくと,その対角線の長さは正三角形面の中心(重心)

  ((2d+x)t/3,0,zt/3)

  ((2d+x)(1−t/3),0,z(1−t/3))

と結んだ線分と等しくならなければなりませんから,

  {(2d0+x0)^2+z0^2}s^2={(2d+x)^2+z^2}(1−2t/3)^2

  (d0^2z0^4+z0^2)s^2=(d^2z^4+z^2)(1−2t/3)^2

 これより

  z’=zt/3+sx0sin(ψ+ψ0)2ψ−sz0cos(ψ+ψ0)

    =zt/3+sx0(z0/3d+z/3d0)−sz0(zz0/3−1/3dd0)

    ={zt+sx0(z0/d+z/d0)−sz0(zz0−1/dd0)}/3

ただし,

  s^2=(1−2t/3)^2(d^2z^4+z^2)/(d0^2z0^4+z0^2)

で与えられます.

 以下に計算結果を示します.この場合,θ=72°すなわちd^2=(5+2√5)/5とわかっているわけですから,代数的に厳密な計算により求めることができるかもしれませんが,ここでは数値計算で求めました.

z’

  θ=60 .23128

  θ=63.4350(黄金菱面体) .1857

  θ=70.5822(白銀菱面体) .0502464

  θ=72(デューラーの八面体) .0157546

  θ=76 -.0977116

  θ=80 -.238675

  θ=82 -.321241

  θ=90(立方体) -.755987

  θ=72 .0157546

  θ=72.1 .0132143

  θ=72.2 .0106607

  θ=72.3 8.09222E-03

  θ=72.4 5.50902E-03

  θ=72.5 2.91145E-03

  θ=72.6 2.99156E-04

  θ=72.7 -2.32792E-03

  θ=72.8 -4.96948E-03

  θ=72.9 -7.62612E-03

  θ=73 -.0102977

 頂角72°の黄金比切頂八面体に内接する菱形六面体の頂角は約72.6°〜72.7°になることがわかりました.しかし,見た目にはこの0.6°〜0.7°の違いは非常に小さいものであって,とても工作では表現できるようなものではないでしょうから,観察者には内接するように映っても仕方のないものと思われます.

 結局,頂角72°の黄金比切頂八面体に頂角72°の菱形六面体は内接しないことがわかりましたが,この結果は私にケプラーの宇宙模型を想起させました.

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【3】ケプラーの宇宙模型

 ケプラーは地動説をもとに惑星の運動法則を発見し,惑星の軌道が楕円であることを発見しました.姓ではなく名前のほうが良く知られているガリレオ・ガリレイは大砲の弾道が放物線になるなど,地上の物体の運動の研究で大きな仕事を成し遂げました.ガリレオは非常に分析的な推論をを好み,法則を一般的考察から推測し,次にそれを実験で検証しましたが,理論(現象のモデル)が実験に先行したという意味で近代科学の先駆者といわれています.ケプラーはそういうタイプとは違って,以下に示すエピソードのように非常に想像力豊かなむしろ空想的な人であったようです.

 凸型正多面体は正4・6・8・12・20面体の5種類あって5種類しかないことはプラトンの時代にはすでに見つけられていて,それらがプラトンの自然哲学で重要な役割を演ずるところから,正多面体はプラトンの立体(Platonic solid)とも呼ばれています.正多面体はピタゴラス学派には神秘的完全性の象徴のように見え,ギリシャの自然哲学者はこれらを5元素と対応させています.

 ケプラーは惑星運動の法則を発見した天文学者として有名ですが,著名な数学者でもありました.事実,星形正多面体と呼ばれる凹型多面体の発見は彼の大きな業績です.ケプラーは「宇宙の神秘」(1596年),「新天文学」(1609年),「世界の調和」(1619年)という三部作を著していますが,非常にピタゴラスとプラトンびいきであって世界は数学的な調和,幾何学的秩序に従っていると確信し,彼の初期の著作「宇宙の神秘」では,太陽系の惑星の軌道を無数にある立体の中で明確な法則性をもっている立体(5種類の凸型正多面体)で幾何学的に説明しようとしていたことはよく知られています.

 当時,惑星は水金地火木土の6つしかないといわれていて,水星から土星までの間に5カ所の隙間ができますが,惑星の軌道は5種類の正多面体を次々同一の中心をもつ6個の球面に外接させて得られる,すなわち,この隙間に5つしかないプラトンの正多面体をすっぽりと入れ込むことができると主張しました.もちろん,ケプラーの法則を発見する以前の話で,天王星,海王星,冥王星の存在を知らなかったのです.

 土星の軌道をもつ球面に立方体を内接させる.そして立方体に内接する球面には木星の軌道がある.木星と火星の軌道のある球面には正四面体がはいり,火星と地球の軌道のある球面には正十二面体,地球と金星の軌道のある球面には正二十面体,金星と水星の軌道のある球面には正八面体が入る.−−−こうして地球を含む六惑星の軌道半径と正多面体の関係を論じました.実際には,構成する多面体を歪めないかぎり支えあうことは不可能で,ケプラーの原図では球の厚みでこのことをごまかす必要があったようです.

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 ケプラーは「宇宙の神秘」を「天空に宿る広大な神の意志を私は信じる」でむすんでいますが,世界を統一原理で理解しようとしたケプラーは,超がつくほどのピタゴラス・プラトン主義者であり,「宇宙の神秘」から23年後の「世界の調和」の中で速く回転する天体ほど高い音を発し,その結果,天球全体が一つの音楽を奏ででいると考え,ピタゴラス音階による天球の音楽について一層詳細な論を展開しています.

 ケプラーの考えを非科学的なこじつけということはやさしく,今日から見れば,真理・正論ではないにしろ,正多面体やピタゴラス音階を宇宙論に導入したケプラーの美しい考え方<宇宙の調和論>には驚かされます.当時の科学水準はどうであっただろうかという点を考慮すると,ケプラーの考え(神秘思想)を非科学的なこじつけということはけっして的を射ていないように思われますし,科学の歴史を振り返ると多分に神秘的な思想から導かれた関係が後の大発見の端緒となった例は少なくありません.たとえば,ケプラーが取り組んだ惑星系の幾何学構造は,いいかえれば惑星軌道は量子化されているというもので,これと似た振る舞いは原子の中の電子に見られます.電子の軌道は離散的,すなわち,とびとびの値しかとることができないのです.

 また,いかに天才といえども,自分が生きた時代や社会から完全に自由になることなどできるはずがありません.現代を基準にするのではなく,彼の生きた時代に視点を置いてその業績を捉えたいと思います.

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【補】数秘術という語がありますが,科学の歴史を振り返ると多分に神秘的な思想から導かれた数値の間の関係が後の大発見の端緒となった例は少なくありません.ケプラーの第3法則,水素のスペクトル線のバルマー系列の公式などがその典型例です.

 太陽系の構造に数値的な意味をもたせようとした研究者はケプラー唯一人ではなく,もう一人の研究者がボーデです.惑星の距離に関するボーデの法則は,この系列の欠番の位置に新惑星が発見されたことから大騒ぎになりました.惑星の配置を表すボーデの法則と呼ばれる簡単な数列が太陽から惑星までの距離をほぼ正確に予測しているという事実は,太陽系の創生期に作用した必然的な構造原理なのでしょうか,それとも,単なる偶然の所産であって無意味なものなのでしょうか.海王星,冥王星にはよく当てはまらないことから法則そのものが疑わしいともいえますが,少なくとも惑星発見の指導原理として歴史的には大きな役割を果たした数秘術の例となっています.

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