■クンマーの理想数(その3)

 自然数は素数が集まってできているから,数学において素数は重要である.物質は原子が集まってできているから,物理学において原子は重要である.

  砂田利一「基本群とラプラシアン」紀伊国屋書店

によると,素数の理論と測地線の理論の間には不思議な類似が存在するという.数の世界と物質の世界は奥深いところで結びついているのである.

 もし,仮に加法の素因数分解を考えれば,たとえば,

  10=3+7=5+5=2+3+5=・・・

と幾通りもの素因数分解が考えられるところである.(p(10)=41通りの方法がある.)

 それに対して,乗法の素因数分解は順序の違いを除けば1通りしかないというのが「算術の基本定理」である.

  10=2・5=5・2

 物質の世界において,原子が分裂することは一大事であるが,数の世界において,素数が分裂することは一大事である.たとえば,

  a+ib√5  (a,bは整数)

の形の数の世界を考えると,この世界では

  21=3×7=(4+i√5)(4−i√5)

のように素因数分解の一意性が成り立たない.しかし,そこには大切な法則ながあるに違いない.

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【1】類数と素因数分解の一意性

  x^2+y^2=(x+yi)(x−yi)

  x^2+2y^2=(x+y√−2)(x−y√−2)

  x^2−2y^2=(x+y√2)(x−y√2)

  x^2+3y^2=(x+y√−3)(x−y√−3)

ですから,それぞれ2次体

  Q(i),Q(√−2),Q(√2),Q(√−3)

と関係していることは容易に想像されます.

 Q(√d)の整数環をいかに定義すべきかが確定すると,次に,いかなるdに対してA(ω)は一意分解環になるのかが問題となります.

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 正の整数では素因数分解の一意性が成り立ちます.また,Q(√−1)=Q(i)の世界では,

  χ(5)=(−1/5)=1  (第1補充法則)

より,素数5は2つの相異なる素イデアルの積となり

  5=(2+i)(2−i)

とただ1通りのイデアル分解されます.

 ところが,扱う数の範囲を広げると,既約因子の積に2通りに表されるような状況を生じます.たとえば,扱う数の範囲を整数から,

  Z(√−5)={a+b√−5|a,bは整数}

にまで拡げると,

  6=2・3=(1+√−5)(1−√−5)

 2,3は素数ですし,

  1+√−5,1−√−5

はいずれも

  a+b√−5

のなかには±1と±それ自身以外の約数をもたないので「素数」です.

 このように,もうこれ以上分解できないはずの素因数分解の仕方が2通り存在してしまう現象が起こります.Q(√d)の整数環A(ω)が必ずしも一意分解環でないことに最初に気づいたのは,ディリクレでした.

 この状況に対して,これはまだ分解が足りないためだと考えることもできます.すなわち,2,3,1±√−5は素数でなく偽物の素数である,さらに究極の数α,β,γ,δがあって,

  2=αβ,3=γδ,1+√−5=αγ,1−√−5=βδ

となっていて,

  6=αβγδ

が6の素因数分解となるという考え方をクンマーの理想数の理論といいます.

 もちろん,α,β,γ,δはZ(√−5)の中には存在しません.素因数分解したときの素因数がすべて含まれている集合を考えるのです.

  {√2,(1+√−5)/√2,(1−√−5)/√2}

 これらが理想素元であって,

  6=2・3=√2・√2・(1+√−5)/√2・(1−√−5)/√2=αβγδ

  6=(1+√−5)(1−√−5)=√2・(1+√−5)/√2・√2・(1−√−5)/√2=αδβγ

が成り立ち,いまや6の素因数分解は一意的です.

  {√2,(1+√−5)/√2,(1−√−5)/√2}

を選んだのは一見場当たり的に思えますが,のちにイデアルが導入されるとこの選択はごく自然なものだったことがわかります.イデアルの世界に至れば,ただ1通りの素因数分解が成立するようになるのです.

 以上は2次形式論に移すと,どのようなdに対して判別式D=dあるいはd/4の形式の同値類がただ1つになっているかということです.ガウスは証明なしにではありますが,負のdに対してA(ω)が単項イデアル環になっているものをすべて決定しています.この事実に最終的な証明が与えられたのが,1966年のベイカー・スタークの定理

 『類数が1となる虚2次体Q(√d)は

  −d=1,2,3,7,11,19,43,67,163

しかない』

というわけです.

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【2】類体論

 2次体における素数の分解

  Q(i),Q(√−2),Q(√2),Q(√−3),Q(√3)

はいずれも類数が1であって,これらの体の整数環は一意分解整域となります.したがって,素数は素イデアルの積としてただ1通りに表されます.

 それに対して,Q(√−5)やQ(√−6)は類数が2であり,Z(√−5)やZ(√−6)は一意分解とは限らないことを意味しています.

  6=2・3=(1+√−5)(1−√−5)

 類数1では,p=x^2+y^2,p=x^2+2y^2,・・・の形に書ける素数の場合,Q(√−1)やQ(√−2)においてpが完全分解するための必要十分条件

  Q(√−1) ←→ 1(mod4)

  Q(√−2) ←→ 1,3(mod8)

がそのままだったのに対して,類数2では,p=x^2+5y^2,p=x^2+6y^2,・・・の形に書ける素数に次のような現象が起こります.

 p≠2,5でない素数とするとき

  「pが20で割ると1または9余る素数ならば,p=x^2+5y^2」

 p≠2,3でない素数とするとき

  「pが24で割ると1または7余る素数ならば,p=x^2+6y^2」

 すなわち,Q(√−5)において,pが完全分解するための必要十分条件

  1,3,7,9(mod20)

Q(√−6)において,pが完全分解するための必要十分条件

  1,5,7,11(mod20)

に較べて少しずれが生じてしまうのです.

 ついでながら,h=2なる虚2次体Q(√d)は,

  −d=5,6,10,13,15,22,35,37,51,58,91,115,123,187,235,267,403,427

の18個あります.

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【補】数論と幾何学の相互転化

 セルバーグ以来,跡公式については数多くの拡張および応用が得られています.跡公式は等スペクトル多様体の構成においても有用な役割を果たすのですが,跡公式の守備範囲はそれだけにはとどまりません.

 セルバーグの仕事の中でも暗示されているように,スペクトル問題は数論と類似する構造をもっていて,ゼータ関数あるいはL関数の幾何学的類似物をラプラシアンの固有値や閉測地線の長さの分布から構成することができます.そうすれば,リーマン面のゼータ関数であるセルバーグ・ゼータ関数はリーマン予想の類似物となり,数論におけるリーマン予想は幾何学的にはラプラシアンの小さい固有値の非存在の問題になるのです.以下に,対応表を掲げておきます.

   数論               幾何学

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  代数体           コンパクトなリーマン多様体

  素イデアル         素な閉測地線

  素数定理          素な閉測地線の長さ分布の密度定理

  リーマン予想        ラプラシアンの小さい固有値の非存在

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