■夏目漱石「夢十夜」(その2)

 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した.はたしてそうなら誰にでもできることだと思い出した.それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家に帰った.

 「自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫(ほ)り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片(かた)っ端(ぱし)から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋(うま)っていないものだと悟った。それで運慶が今日(きょう)まで生きている理由もほぼ解った。」

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 ノーベル賞受賞者の福井謙一さんのコメント(エピソード)も盛り込んでおきたい.

 なぜかというと、彼は最後の「ついに明治の木にはとうてい仁王は埋(うま)っていないものだと悟った。それで運慶が今日(きょう)まで生きている理由もほぼ解った。」の意味が全く理解できなかったといったそうだ。

 これは科学者福井と芸術家夏目漱石の価値観、観点の相違だと思う(楽観と悲観)。漱石は近代化の進む日本において、もはや仁王が埋まった木が存在しないということ(深刻な危機感・悲観的な意見)を訴えたかったのでは無かろうか?

 夢十夜で一番好きなのはやはり「第一夜」.その他には、落語みたいなものもあり、怪談じみたものもあり、語り口もいろいろ。漱石の作風のすべてが表現されているという感じだ。

 黒澤明監督「夢」は、漱石の「夢十夜」への挑戦状というべきか。   (阪本ひろむ)

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