■ファッショナブル・ナンセンス(その2)

 かつて日本は物を作る人間に対する尊敬を失わない国であった。ところが、近年は大手メーカーの収益であっても、ものを生産して儲けるよりいわゆる財テクで儲けるほうが多くなった。いつのまにか世の中は産業資本主義から金融資本主義に移行し、いわば賭事に夢中になってカネを浪費する時代になっていたのである。経済にはまったくうとい私であるが、これは大変なことだと思った。はたせるかな、バブルの大崩壊に引き続き,「福島」が起こった。経済的な勢いが崩壊した日本はもはや強大国たりえず,弱小国と自認すべきだろう.

 私のHPの最初の方ではジャーナリスティックな問題点が議論されていたので,コラム「プログラムのバグから危機管理まで」(1999年)から抜粋して再録する.

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【1】TMI・チェルノブイリ・東海村

 当該のNASAの担当者は次のように話しているという.「人間は間違いを犯す.問題なのは,誤りをチェックできなかったNASAのシステムである.」しかし,東海村の臨界事故をみてもわかるように,チェックシステムが有効に働くとはかぎらないし,大量の放射性物質を撒き散らかした事故にもかかわらず,危機管理とはこうあるべきといった規範となるような事後の対応も十分ではなかったように思う.

 1979年,アメリカTMI(スリーマイル島)事故が日本に及ぼした影響は極めて軽いものに留まった.TMI炉と日本に導入されているものとは炉型が違う設計であるから,日本の原発については心配無用.また,TMI発電所を運営している会社が日本では考えられないほど小さな会社であって,特別な保護を受けて基盤の安定している日本の大会社とは違う,というのがその理由であったかと思う.

 それから7年たって,今度は第2の超大国ソ連でチェルノブイリの大事故が起きた.このときの放射性物質汚染は,国境を越えて,全ヨーロッパを覆い,極東日本でさえ検出されたにもかかわらず,チェルノブイリ事故の影響はTMIの場合よりさらに小さかった.社会体制が違うという点がものをいったのであろう.

 東海村事故は原子炉本体の事故ではないが,放射性物質を大量に放出したという点においては同じと考えてよかろう.これまで,原子炉の大事故が起こるのはアメリカやソ連であって,日本では起こらないだろうといわれてきた.奇しくも今回の事故によってこの主張は覆ることになったが,その主張は必ずしも根拠のないことではなかった.日本人技術者がもつ几帳面に物事を処理する性格が日本の原子力の安全性を支えてきた一角であることは疑いない.しかし,この日本人の特質はやがて変わるときがくるし,もうすでに変わったとみてよいのかもしれない.

 日本人技術者が頼りにならなくなった場合にも,安全であり続けるようなる原子炉,すなわち,何か事故が起こりかかるとそれを抑えてしまうような安全装置のついた原子炉のことではなくて,それ自身放置しておいても炉心が決して焼けることのないような炉,炉心部が焼けても放射性物質を大量に出すことのない炉が,本質的に安全である原子炉なのであろう.

 原子力にはまったくの門外漢の小生であるが,原子力をエネルギー源として使うからといって,やめろというつもりはさらさらない.このような安全な原子炉を作ってほしいと思うし,100%原子力に依存しないエネルギー作りも同時に推進させることを要請したい.どんなエネルギー源でも,使い方の正否で事故が起こる.エネルギー源に罪があるのではなく,それを扱う人間の側に問題がある.

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