■陶淵明・桃花源記(その2)

 前回は「桃花源記 并に詩」の内容に全く触れなかった。まず、「桃花源記」の原文そのものは提示しない・・・(阪本ひろむ)

(あらすじ)

漁業を生業とするものが、自分の知らない渓流に迷い込んでしまった。

陸に上がり,しばらくいくと穴があった。

その穴を通り抜けると、村があった。

そこの住人は、秦の末に戦乱を避けて来た農民たちで、その後の戦乱の事など知らず、平和に暮らしていた。

住民たちは漁師を歓待した。漁師は「桃源郷」を気に入ったが、帰る事にした。

帰るときに、あちこちに印をつけて、再度「桃源郷」に行けるようにした。

しかし、再度そこに行こうと試みたが、道しるべは見つからず、桃源郷に至ることはできなかった。

(かいせつ)

それだけの事なのだが、その語り口がすばらしいので、有名となった。

だれかが、SFの走りだと表したが、そうではないと思う。

むしろあまりにも簡潔でリアルな文章だから、多くの人を引きつけるのである。

魯迅は「中国の最初の伝奇小説の一つ」と絶賛している。なお、陶淵明作と称する「伝奇小説集」があるそうであるが、偽作とのことである。

桃花源記の最後のフレーズは非常に意味深長である。

曰く

「南陽の劉子驥(リュウシキ)は高尚の士なり。これ(漁師の話)を聞き欣然としてゆくをはかも、未だ果たさざるに、ついに病みて終わる。後ついに津を問うものなし」

劉子驥というものがこれをきいて、そこに行こうとしたが果たせなかった。その後、道を問うものはいなくなった。

この「津を問う」と言葉を陶淵明は多用する。この典拠は論語「微子」である。元々は「渡し場はどこであるか尋ねる」とおう意味だが、論語の故事により「人間の生き方を求める」という意味を持つ。

要は、陶淵明は、いまや孔子の様に人間の生き方をまじめに求める人がいなくなったと嘆いているのである。

(詩の解説)

桃花源記に付された詩は、「記」と、かなり趣向が異なる。

桃源郷の起源、村の描写をしているのだが、最初に読んだ時には平板に思われた。

だが、以下の二句

春蚕長糸を収め 秋熟 王税なし

(春の蚕は、生糸をおさめるが、秋の収穫の時には税金がとられない)

は非常に意味がある。農業を営んでいるが、税をとられない理想郷なのである。

(その後の影響)

桃源郷はいろいろな人の芸術(詩、題材)となった。

時には不老不死の仙人の世界と理解された。

しかし、宋の蘇軾は、桃源郷は仙人の世界ではないといっている。

「又云う「鶏を殺して食を為す」と。あに仙にして殺すものありや」

つまり、桃源郷の農民は漁師を歓待して、鶏を殺して食べ物を作ったが、これは仙人のすることではないというのだ。

搾取の無い、農民の世界こそが桃花源記として、その詩に唱和している。

また、王安石も、桃花源記の詩を作っていて、その中で

「父子有りと雖も、君臣なし」

いっており、桃源郷にたいする新しい見方をしている。

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