■ゼータとランダム行列の特性多項式

【1】数論的量子カオス

 ヒルベルトは,リーマンのゼータ関数ζ(s)の零点がランダム・エルミート行列の固有値のように分布していると推測し,1915年頃,ポリアとともにゼータ関数の零点をスペクトルとして解釈できないだろうかと提案した.

 とはいえ,そのような数学的証拠が実際になければそれは理論上のことに過ぎない.そして,1956年,ゼータ関数の零点スペクトルはセルバーグ・ゼータ関数の発見ではじめて実際に関係づけられることとなった.ヒルベルトとポリアの提案が予想の枠をこえて現実味を帯びてきたのである.

 一方,コンピュータの発達により数値解析の研究が進み,モンゴメリーやオドリズコの数値計算によって,ゼータ関数とランダム行列理論との関連が見いだされた.

 モンゴメリーは正規化された零点のペアに関する相関を調べ,ダイソンはそれがランダムなユニタリ行列の固有値の相関関係

  1−(sinπΔE/πΔE)^2

と同じものであることに気づいた.(1971年)

 また,ベル研究所のオドリズコは正規化された零点の間隔について詳細な数値計算を行い,隣り合った二つのgj~の差に関する度数分布図の結果がGUEとほぼ完璧に一致することを示した.

 このような零点の分布は偶然とは考えにくく,零点虚部はある未知のエルミート演算子の固有値である可能性が強いと考えられた(モンゴメリー・オドリズコ予想).

 零点の間隔分布がGUEのスペクトル統計に一致することが精密な数値計算により予想されたのだが,このようにランダム・エルミート行列の隣り合う固有値の間隔分布を行列の次数を無限大にして考えた理論曲線と一致したことは,数論研究者にとって衝撃的な結果であった.

 これらのことにより,ゼータ関数の零点分布がランダム行列理論で得られる関数で表されることは予想されていたのだが,1994年,ルドニックとサルナックはこれを部分的に証明した.

 このようにゼータ関数の零点を作用素のスペクトルと関連づけて解釈しようとする数論の新しい動きを総称して「数論的量子カオス」と呼ばれる.素数を周期軌道,零点を固有値と読み変えることによって,ゼータ関数が仮想的な量子系を表現していると考えることができるというのである.

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【2】ゼータの平均値とランダム行列の特性多項式の平均値

 1918年,ハーディとリトツウッドは

  1/T∫(0,T)|ζ(1/2+it)|^2dt 〜 logT

すなわち,ゼータの絶対値の2乗に関し,s=1/2上の長さTの平均値がlogTであるという結果を示した.

 より高いベキ乗では平均値はどうなるのだろうか? 1926年,イングハムは

  1/T∫(0,T)|ζ(1/2+it)|^4dt〜(logT)^4/2π^2

を示した.

 また,ゼータのk乗に関して

  ζ(s)^k=(Σ1/n^s)^k=Σdk(n)/n^s

ここで,dk(n)はnをk個の自然数の積で表す表し方の総数を与えるディリクレ級数となることから,1984年,コンリーは漸近評価式

  1/T∫(0,T)|ζ(1/2+it)|^2kdt〜ck(logT)^2^k2

が成り立つだろうと予想した.

  gk=∫(0,T)|ζ(1/2+it)|^2k/∫(0,T)|Σdk(n)/n^1/2+it|   (T→∞)

と定義すると

  g1=1,g2=2,g3=42

となる.

 k≧4の予想は困難だろうと思われたのだが,キーティキングはゼータ関数の固有値が行列の固有値のようなものだとすれば,ゼータ関数の平均は特性多項式の平均値に関係があるだろうと推測し,

  gk=(k^2)!/1・2^2・・・k^k・(k+1)^k-1・・・・(2k−1)

を得た.

 この式は

  g1=1,g2=2,g3=9!/1・2^2・3^3・4^2・5=42

を満たし,k=4については

  g4=16!/1・2^2・3^3・4^4・5^3・6^2・7=24024

となり,その後のコンリーの計算結果と一致した.

 もはや,ゼータ関数の平均とランダム行列の特性多項式の関係を疑う者はいない.これが端緒となり,ゼータ関数の平均とランダム行列の特性多項式の関係について,種々の結果が得られている.

  [参]小山信也「素数からゼータへ,そしてカオスへ」日本評論社

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